同じ遺伝子から女王バチも働きバチも — 環境と遺伝子のふしぎな関係

更新日 2026年10月生命のふしぎ

ハチの巣の中央にいる女王バチと、まわりの働きバチのイラスト

家畜化で動物が大きく変わったのは、人が「どの個体を残すか」を選んできたからでした。でも生き物には、もう一つの不思議な変わり方があります。環境によって、遺伝子の使われ方そのものが変わるのです。

進化の基本:環境が「選ぶ」

まず基本から。生き物の遺伝子(DNAの配列)は、ふつう環境によって直接書き換えられることはありません。集団の中にはもともといろいろな違いを持つ個体がいて、その環境で生き残りやすい個体が子孫を多く残す。これをくり返すことで、集団の性質が少しずつ変わっていきます。これが進化です。

家畜化は、この「選ぶ役」を人間が担った特別な進化だと言えます。自然の中よりずっと一貫した基準で選び続けるため、キツネの実験のように数十年で大きな変化が起こることもあるのです。

もう一つのしくみ:遺伝子のスイッチ

ところが近年、DNAの配列は同じままでも、遺伝子が「オン」になるか「オフ」になるかが環境によって変わることが、くわしくわかってきました。DNAに小さな目印(メチル基など)が付いたり外れたりすることで、遺伝子の働き方が調整されるのです。この研究分野をエピジェネティクスと呼びます。

ロイヤルゼリーで女王になる

ミツバチの女王バチと働きバチは、同じ遺伝子を持つメスです。違いを生むのは、幼虫のときに何を食べたか。ロイヤルゼリーをたっぷり与えられ続けた幼虫が女王バチになります。女王バチは働きバチよりずっと体が大きく、何年も生きて卵を産み続けます。

2008年の研究では、DNAに目印を付ける酵素の働きを幼虫で弱めると、ロイヤルゼリーを与えなくても女王バチのような特徴を持つハチが育つことが示されました。食べ物という環境が、遺伝子のスイッチを通して体の作りを大きく変えていたのです。

お母さんの経験が子に残る

第二次世界大戦の終わりごろ、オランダでは「飢餓の冬」と呼ばれる深刻な食料不足が起こりました。この時期にお母さんのおなかの中にいた人を何十年も後に調べたところ、成長や代謝に関わる遺伝子のスイッチの状態が、きょうだいと比べて違っていることがわかりました。胎児のときの環境が、大人になっても遺伝子の使われ方に痕跡を残していたのです。

注意したいことこうしたスイッチの状態が孫やその先の世代までどのくらい受け継がれるのかは、動物の種類によって違い、人ではまだよくわかっていない部分が多い分野です。「経験がそのまま遺伝する」と言い切れるわけではありません。

楽譜と演奏

DNAは生き物の「楽譜」のようなものです。楽譜そのものは長い時間をかけて、選ばれることでしか変わりません。けれど同じ楽譜でも、演奏する場所や条件によって、まったく違う曲のように響くことがあります。同じ遺伝子が環境しだいで女王バチにも働きバチにもなる。この柔らかさこそが、生き物が何十億年もさまざまな環境を生き抜いてこられた秘密なのかもしれません。

参考にした主な資料

  • Kucharski et al. (2008) Nutritional control of reproductive status in honeybees via DNA methylation. Science
  • Heijmans et al. (2008) Persistent epigenetic differences associated with prenatal exposure to famine in humans. PNAS